Designer Column Vol.1|Man Ray”Le Violon d'Ingres” Series

Designer Column Vol.1|Man Ray”Le Violon d'Ingres” Series

マン・レイ シュルレアリストの超現実

シュルレアリスム。
その言葉を初めて知ったのは、大学生時代チェコの映画監督ヤンシュバンクマイエル(1934-)の世界に触れた時だった。
コマどりで1枚1枚撮影された言葉にできない奇妙で不思議な世界に一瞬で魅了された。

愛らしくも不思議なチェコの世界観だけでも素晴らしいのだが、
ダークファンタジーとでもいうのだろうか、作り物ではないリアル要素からなる限りなく奇妙でどこか愛らしい異世界。
形容詞しがたい表現を見て、彼の頭の中には現実がこのように写っているのだろうかと衝撃を受けた。

当時は「アリス」くらいしか日本に来ていなかったのだが、
その後ちょっとしたブームが日本に来たため、彼の映画がTSUTAYAに並ぶたびに借りるなどした。

その後、シュルレアリスムという言葉は、シュバンクマイエルが生まれるより前の第一次世界大戦(1914-1918年)後に生まれた言葉で、
当時歴史上かつてない程の大量殺戮と破壊をもたらしたこの戦争に駆り出され、生死の狭間で極限の精神状態を味わった若者達が
終戦後、社会によって与えられた現実や情報に対して真実を見出せなくなり、確かな手応えのある【真の現実】を追い求めた事により生まれた活動であると知る。

日本語にするとシュルレアリスム = シュル(超越)+レアリスム(現実主義/写実主義) 直訳すると【超現実主義】だが、その本質は現実を超越してしまう現実離れのファンタジーではなく、むしろ逆の
真の現実、現実の根源といった意味合いで、日常をただ見つめているだけでは視えてこない、心の奥に眠っている無意識部分を現実に重ね引き出していく芸術表現で、
思考ではなく、潜在意識的な部分での作品作りである、という事にひどく感銘を受けた。

シュルレアリスムという名は1924年アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言 溶ける魚」を発表したことでその名前が分かりやすく世に広まったらしい。
宣言が発表されたのは、1924年だが、数年前からシュルレアリスムの核となるような活動は始まっており、彼らはグループとして様々な実験や遊びを盛んに行っていた。

アンドレ・ブルトン 「シュルレアリスム宣言 溶ける魚」

最初は文学的な表現が中心だったが、【論理的、合理的に用意された物語や文章ではなく、思いつくままに行き当たりばったりであることが真実である】といった表現を、
視覚的に写真やコラージュ作業でおこなうブリコラージュや、オブジェ制作などに展開されていった。

美術に関わるシュルレアリスムといえば、“遊び”をテーマにしたものが多く、
例えば「甘美な死骸」という対極的なテーマ遊びや、トランプ、タロット、チェスなど遊びと絡めたオブジェ、写真、コラージュなど
子供の様な遊び心で斬新かつ美しい作品をたくさん残しており、それらは友人同士で遊んでいる中で、本当に身近なものをちょっと皮肉ってみたり、
比喩してみたりと遊んでいる中で偶然としてできた超現実そのものだった。

その中でも写真家を兼ねる画家のマン・レイ は、いつも友達や恋人による写真遊びをしていた。

彼がいたから、今では代表的なシュルレアリストたちの集合写真や、素晴らしい肖像画を今でも見ることができるし、
マン・レイ の写真集「マネキン人形達」という写真集のために、マルセルデュシャン、サルバドールダリ、マックスエルンスト、ジョアンミロなど錚々たるシュルレアリストのメンバーに
マネキンを飾り付けてもらいそれを写真に撮る、といったようなそれこそ芸術家の遊びを見ることができたりする。

画像左 マン・レイ によって撮影された仲間達
画像右 マン・レイ の写真集 マネキン人形達

もしタイムスリップできるなら、この瞬間のその場所を、覗きにいきたいと何度も思った。
映画「ミッドナイトインパリ」という映画で、まさにパリの街角を歩いていたらいつの間にか1920年代にタイムスリップしてジョンコクトーのパーティーに混じっていた、
という描写があるが、まさに!私ももしタイムスリップできるなら、1920年代を真っ先に選ぶだろう。

画像左 マン・レイ   涙 1932年
画像右 マン・レイ 表紙の検証 1933年 _ フォトグラムによる写真 1922年

話がかなり逸れてしまったが、今回のSYKIAの新作は、そんなシュルレアリスムの代表とも言えるマン・レイ の代表作、「Violon d’Ingres(アングルのヴァイオリン)」のフォルムより着想を得た。

この作品は、19世紀の新古典主義の画家、ドミニク・アングルへのオマージュとして構想された作品で、
タイトルの「Violon d’Ingres(アングルのヴァイオリン)」は、
アングルにはバイオリンを弾く習慣があり、アトリエを訪ねてくる人々にむりやり弾いてきかせていたということから
フランス語で「趣味」「下手の横好き」の慣用句になっている。

画像左 ドミニク・アングル 1808年
ヴァルパンソンの浴女 「Baigneuse dite de Valpinçon」
画像右 マン・レイ 1924年
アングルのヴァイオリン「Le Violon d’Ingres」

当時マン・レイ の恋人だったキキの写真の背中に、ヴァイオリンのF字孔を重ねた作品で、
本業は画家をしていたマン・レイが、アングルの「ヴァルパイソンの浴女」をオマージュし写真でそれを再現するという。

「下手の横好き」という自身への皮肉と、さらには同時にキキについてもマン・レイにとって彼の「趣味」だったのではないかという、まさに遊び心に溢れたエロティシズムを感じる作品だなと思った。


作品を作る上で、1920sはよく思い起こす時代であり、今回マンレイのオマージュを、私がオマージュするというリオマージュができて嬉しく思う。

 

SYKIA Violin Pierce

COLOR : Gold, Silver

新作のピアスは、耳に対してフープ状で付けたいという気持ちから、ラフイメージの形を変えていったらヴァイオリンではなくいつの間にかハープのような形になっていた。
そのフォルムが絶妙で、どこかギリシャ神話のような要素を醸し出していてSYKIAらしい作品に仕上がった。
デザインを考えてる時の、たまたまそうなった。という偶然の産物はとても楽しい。

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SYKIA Violin Hair Fork

COLOR : Gold, Silver

新作のヘアフォークは、先端が渦巻きの様な仕様になっている。
実際の写真のf字孔のラインとは若干異なるのだが、私の記憶の中にあったアングルのヴァイオリンはこのようなシルエットだったのだろう。
自然とラフイメージを描いているときに出てきたシルエットだった。
鮮明なイメージからインスピレーションとするよりも頭にあったイメージから作られた
作品の方が、なんとなく彼のオマージュとしては最適なのかも、と思ったのでとても気に入っている。




ずっとヴィンテージに携わってきた私からすればアクセサリー制作自体が「趣味」であり「下手の横好き」である。 シュルレアリスト達の作品を見ていると、 それで良いのだ、その好奇心や思いつきこそがまさにデザインなのだと、背中を押してくれる様でいつも、 短い人生で何を楽しむ?と語りかけてくれる様で、何かに挑戦したい時、私の背中をそっと押してくれる大切な存在になっている。


written by Hitomi

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